10/6 栂池(ツガイケ)自然園

上信越(じょうしんえつ)自動車道から双耳峰

(そうじほう=2つ耳の)鹿島槍ヶ岳(かしま

やりがたけ)=が見えま~す!

 

◆皆様、お元気ですか?

体調はいかがですか?

10月だというのに真夏のような陽気の日もあり

ました。今日は予想最高気温24℃、快適ですね。

 

少し気分転換しましょうか。

数日前の秋の風景をお届けします。

長野県小谷村(おたりむら)にある栂池(つが

いけ)自然園の紅葉のご報告をいたします。

 

紅葉なんかまだ早い!と思うでしょ。

私もそう思っていました。

栂池(つがいけ)の麓の紅葉はまだまだでしたが

ゴンドラリフトに乗っている最中にすっばらしい

紅葉を見下ろせて感動ものでした!

 

栂池自然園(標高1900~2000m)の周囲の山々は

まるで絵のように美しゅうございました。

 

 

麓は晴れているんですけど、山は雲で覆われ気温

は16℃、白馬三山(はくばさんざん)は1つも

見えず、当然ですが「展望湿原」に着いても白馬

大雪渓(はくばだいせっけい)も見えず、ジェス

チャーで「こちらに見えるのが、白馬大雪渓でご

ざいます。心眼でよ~くご覧ください」とお教え

しました。

今にも雨がザーッと降りそうなのに最後まで降ら

なかったラッキーなハイキングとなりました。

 

◆2018年10月6日

なんと! 高速で長野出口を降りたら、なんと!29℃

10月だよ、暑くない?

 

 

望遠レンズで撮影

ちょっと紅葉してるかも

 

栂池(つがいけ)の麓は、まだ紅葉してない

 

 

栂池高原駅(839m)から、ゴンドラリフトに

乗ります。定員6名

三連休の初日は人がいっぱいです。

だんだん紅葉、黄葉が見えてきました。

 

白いのは、ゴンドラリフト

 

ゴンドラリフトに乗ったら急に季節が変わって

きました~! 20分間乗ります

 

 

 

 

 

 

ゴンドラリフトを降りたら、今度はロープウェイ

に乗り替えます。ロープウェイ乗り場まで少し歩

きます。

 

↑ これは7月末撮影の「栂(つが)」=オオシラビソの実

今年は大豊作の日

これが、10月にはこうなります

動いているロープウェイから撮影したので

ピンボケですみません。

 

栂池のサイトに、↓ こういうのが載っていました

 

 

栂の森駅(標高1582m)

 

このあと

ロープウェイに乗って5分で自然園駅に着きます

 

真下は紅葉まっさかり!

 

ロープウェイの山頂駅=自然園駅=1829m

 

16℃

 

立派な山小屋=つがいけヒュッテもあります

 

(左)栂池山荘、(右)栂池ヒュッテ

 

目を疑った。

えっ!救急車?

ここまで車で上る道があるのね

そうか、一般の人は車で来れないけどスタッフの

車や緊急車は来られるようになっているのね。

 

 

 

このあと雨が降りそうだったので自然園に入る

前に、目の前のきれいなビジターセンターの中

で早々とお弁当を食べることにした。

スタッフから「ゴミは自分で持って帰ってくだ

さいね」と言われました。山では常識ですね。

ビジターセンターは昨年リニューアルしたばかり

なので美しいです。

 

赤い屋根は、旧栂池ヒュッテ記念館(つまり昔の

栂池ヒュッテ)

 

雲の動きが速い。(^_^.)

あっというまに雲がかなり下まで垂れこめて

きて・・・今にもザーッと雨が降りそう。

雨具の装備はバッチリ。しかし雨具を着て動

くと暑いぞ・・・。

 

先日ネットで調べた時には山は既に10℃と書

いてあったけど、今日はあったかい方だ。

 

雨具は早めに着ておいた方がいいので最初から

雨具上下を着てスタートした。

やっぱり暑い。早く雨が降らないかしら?

降りそうで降らないから(雨具)上は脱いだ。

 

※山の雨具は、ゴアテックスと言って、地上で

は警察や消防団が着ているしっかりした材質の

雨具のこと。

 

◆午後1時20分スタート

雨が降らないうちにさっさと展望湿原(2010m)

に行きたいと思い、撮影せずに先へ行く。

(カメラが濡れるのがイヤだから出さなかった)

 

霧が深くボヤーッ

7月にここらへんで現れたオコジョちゃんは・・・

いるかなぁ?

その日は人が多いからか?出てこなかった。

 

10/6撮影

 

7月末に見た時は、オコジョ、こんなに

小さかった。(7/26撮影)

 

草もみじ

午後3時前に「展望湿原」に到着したけど・・・

大雪渓は・・・見えなかった。

それどころか、目の前の湿原も見えなかった。

 

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これは7月26日正午の展望湿原

7月末、白馬山(しろうまだけ)は見えなかった

けど大雪渓は見えました。

 

本当はこんなふうに見えるらしいです。

栂池自然園のガイドマップより ↓

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相変わらず雨が降りそうで降らない。

帰りは、ゆ~っくり撮影することにした。

ロープウェイの最終、16時40分

これを忘れずに!

 

15時30分過ぎでもすれ違う人がいて、「今から

ハイキングして展望台へ行ったら帰りのロープ

ウェイに間に合うのだろうか?」と余計な心配

をしたけれど、途中で思い出した。

そうだ、ここには山小屋が2つもあった。

そこに泊まる人はロープウェイの最終時刻なん

か関係ないんだね。

 

 

 

 

ナナカマド

 

シラタマノミ

 

時おり日が差してくる

紅葉に日が差したら輝いてみえる。

でも・・・なかなか日が差さない。

 

 

 

 

自然園全景を見渡せるポイントから撮影 ↓

 

まるで絵のよう

赤い屋根の右の建物が昨年リニューアルした

ビジターセンター

 

 

向こうは晴れてる

 

あそこを通って帰るんだね

 

山小屋、ビジターセンターなど

 

 

 

 

 

白い幹や枝が絵のよう・・・

 

滝が見えます

 

 

 

 

 

旧栂池ヒュッテ記念館

 

ゴゼンタチバナの実

 

ナナカマド

 

さ、ロープウェイで降りていきましょう

麓は晴れです

 

真下に川が見えます

 

ロープウェイからは遠くに(どこかの)雪渓

が見えます

 

真下に車専用の道路も見えます

救急車はここを上がったのですね

 

栂池は長野県北部にあります

 

 

 

 

どこかの山の頂もちょこっと見えます

 

ここから下りになります

 

ロープウェイ運行は、10/31まで。

10月後半、栂池自然園では雪が降り出します。

山では・・・冬になります。

12月15日からはスキーシーズンに入ります。

 

白樺駅に近づいたら、いろいろな遊具が見えます

 

 

 

麓の紅葉は、もう少しあとになりそうです。

 

マユミの実

 

反面教師と、お手本

◆今年の夏

西日本の私の実家に1か月いて、広いゴミ屋敷に

やっとこさ歩けるような道(=足場)をつけてき

たり、庭の草刈りや樹木の剪定、畑の草刈りなど

頑張った夫。

 

私は7~8年前にこちらに連れてきた母親の介護

(=今、寝たきり)があるし、ママの仕事の間は

孫も預かってるから埼玉から移動できない。

 

夫は私の実家(=普段は空き家)で慣れない食事

作りをして、晴耕雨読で頑張った。

9月末、私もようやく3泊4日で実家に帰るチャンス

が来た。そうしたら、近所の皆さんが「ご主人暑い

のに毎日よう働いてたよ、頑張っとったよ」と教え

てくれた。お疲れ様です。

 

最初の3週間くらい猛暑が続き、台風の時もその地域

だけ風雨がそれたようで、雨がほとんど降らず、その

後も大地は乾きに乾いて、ほとほと困ったらしい。

 

で、

夫が一人で田舎の家や庭や畑で作業してると、近所

の人からよく声を掛けられたそうだ。

「ここの家のお父さんにはお世話になった」

「ここの家のお父さんにはよくしてもらった」・・・と。

 

父は10年も前に、ガンで亡くなっているのだが・・・

いまだに皆さんが思い出してくれるみたいだ。

 

一方、今、同居して在宅で世話している母のことは

田舎の皆さん、だ~れも何とも言わない。

「お母さんは元気か・・・」とも聞かれない。

ずっと田舎でお高くとまっていたんだろうなぁ。

働き者でもなかったし・・・

人にものをあげることもしなかった(らしい)し、

他人のために一つも尽くしてこなかったんだろうなぁ

と、今さらのように推測できる。

 

それよりも、もっとガッカリするようなことを教わっ

た。頭を下げて謝りたいほどのことを母は平気で他人

に言ってたんだなぁ・・・。

 

なんだか・・・

母は、私にとって反面教師だ・・・

今、私は、神様に試されているのかなぁ・・・と思った。

 

なんだか一生懸命母の世話をするの、馬鹿らしいと

思ってしまった。もう施設に入れちゃおうかな・・・。

 

悪いけど、人間、自分勝手に生きてきちゃダメ。

自分さえよければいいはダメ、

見栄だけで生きてるのもダメ。

ご近所や親戚に気持ち良くお裾分けするのが当たり前

にできるくらいでないと・・・ダメ。

ボケた時にだーれも相手にしてくれない。心配もして

くれない。(今、母を思い浮かべて書いている・・・)

 

頭のまともな時に、これっぽっちも人のために尽くし

てこなかった母の生き方が、今頃になって、なんだか

透けて見えてくるんだよね~。

そういうのを知った今・・・

さて、この人とどう向き合うか・・・なんて真剣に考え

てしまった。

 

でもなー。

目の前にいる母は、近場のことはもちろん少女時代

の昔のこともきれいに忘れてしまっている。

話にならない。会話にならない。会話が続かない。

 

私の名前は言えても、私との関係はきれいさっぱり

忘れているようだ。都合の悪い(自分の)旦那さん

のことなんか、この10年間で1回くらい思い出した

かなぁ~ってな感じ・・・。なんたるちあ・・・。

 

母は、私にとってもう戦う相手ではないのだ。

 

ただ、この人の生き方がそうであったように、私も

母に丁寧に向き合わなくてもいいかな、手抜きでい

いかな、だって、この人、他人との関係において手

抜きしまくっていたんだもの・・・と思うようになって

きた。

 

私は自分の体調と相談しながら、自分の体調が悪い

時には介護ではなく自分を優先しよう!と今回は

強く思った。

 

介護は、もう「母」のためではなく、自分のために

やろう、自分のために頑張れる時だけ頑張ろう。

それより・・・介護は頑張らない方がいいかも。

 

やってないから、やれなかったから・・・と罪悪感を

持ったりする必要はない。

だって、母は他人との関係において手抜きばっかり

していたし、人のアドバイスも素直に聞かなかった

らしく・・・評判は・・・すこぶる・・・てんてんてん。

 

お正月に挨拶に来た親戚に向かって、「うちはお年

玉はあげません」って言ったらしい。どの顔をして

そんな意地悪なことを言ったんだよ~と私は恥ずか

しいやら、情けないやら・・・。

うちは本家(ほんけ)だぞー。いつも見栄張ってる

くせに、お正月だけでも本家らしいことをしなきゃ

ダメじゃないか・・・と私でも分かる。

 

父はそんなことを言う人ではない。

それどころか、お菓子をよそんちの子供の両手いっ

ぱいに渡すような人だ。

 

父と母の・・・このギャップ・・・

父は誇らしい。

亡くなって10年経っても慕われている。

私は父をお手本に生きていこう!

 

自分の体の限界が来る前に、母は施設に預けよう。

前よりもっと気楽にそう思うようになった。

自分の体調が悪ければ、ショートステイをすぐに使

おう。一生懸命自分で介護した方がいい・・・など

と思わない方がいい。

うちの場合は・・・母に愛情込めて育ててもらった

かなぁと首をかしげるようなとこ、あるから。(笑)

 

ただ、ご飯はしっかり食べさせてもらった。

母はお料理が下手だったから、買ったものが多かっ

たけど・・・それでも、お魚煮たりお刺身を作るのが

上手だった。毎日ほとんど代わり映えしないメニュ

ーだったけど、お腹が空いたことはなかったと思う。

 

だから、今、私も母に栄養のあるもの、食べさせて

いる。30本ある自分の歯で、母はもりもり、がり

がり噛んで食べている。たぶん自然治癒力いっぱい

だと思う。

 

私は、自分で楽だと思える介護をすればいいのだ。

施設に預けると、会いに行くのが面倒。

今のところ、家にいてくれる方が、私が「らく」。

 

孫が来た時に、あの頃はひいばあばと生活するって

ことが当たり前の家だったね・・・くらいでいいと

思う。

 

私の友達の家では、愛情込めて育ててもらったので

恩返しとして家族で愛情込めて最期まで在宅で介護、

もう美しいお手本のような懸命な介護をして穏やか

に看送った家もある。

それまで生きてきたように、看送られていった幸せな

お母様の例もある。

 

人それぞれ。その家、それぞれ。

 

うちなんか、8年、毎年(1回)帰省しても、まだ

まだゴミ屋敷の片付けが終わらない。「ホントにだら

しのない母でごめんなさいね」・・・と夫に謝る夏。

 

人はね、生きてきたように死ぬ(かも)。

 

残りの人生、人に尽くして生きていこう。

家族だけでなく、ご近所や他人に尽くす。

お金じゃないのよ。

心・・・やさしいこころ。

父の十数年前の親切が・・・今、いろんな人から

「あんたのお父さんには世話になった」「いろいろ

教えてもらった」っていう嬉しいことばになって、

戻ってくる。

 

なんか、ご褒美もらったようだ。

お金をもらって嬉しいんじゃないのよ。

ご褒美なんかお金じゃなくていいんだ。

ことば。やさしいことば。

 

父の思い出を語る他人の「ひとこと」・・・が今の私

や夫を元気にした。

 

いいお手本を思い浮かべながら、私も生きていこう。

 

キンモクセイふぶき

10/1

台風一過

埼玉は最高気温33.8℃とかで、日差しが強いし暑い!

このところずっと涼しい日が続いていたので、この

暑さ、こたえます。今日は木陰を探して歩きます。

 

窓を開けると、このところずっとそれらしい香りが

しておりました。どこから??

 

さて、なんでしょう?

小学校高学年の女の子がこれを両手ですくって

砂のようにパーッて上にまき散らしていました。

楽しそう!

 

春だと・・・桜吹雪

秋だと・・・キンモクセイ吹雪?

 

 

そう、キンモクセイ。

ここは、キンモクセイ公園

いいえ、浦和区上木崎(かみきざき)の公園

 

 

サッカーするのに適した広い公園

周囲の樹木が・・・すべてキンモクセイ。

だから今の時期、上も下もオレンジ色です!

きれいです!

においも・・・すごいです!!

介護家族ならではの光景

◆いかにも「介護家族」らしい画像を数枚

載せます。

 

孫がおばあちゃんち(=私の家)でピアノの

練習をします。

「おばあちゃん、足台ない?」

「ないよ。ひいばあばのおむつ、どうかな?

好きな高さにして使っていいよ」

「わかった」

 

 

 

9/15 高見国生氏の講演 家族支援の必要性

2018/9/15

認知症の人と家族の会埼玉県支部の

アルツハイマー記念講演会、高見国生氏の講演内容

と、私が感銘を受けた箇所を書きますね。

高見さんは京都府庁に勤務しながら、認知症の人と

家族の会の前身「ぼけ老人をかかえる会」を作った

人の一人、昨年まで代表をなさっていました。

 

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【認知症の人の家族も、当事者である ということ】

~家族支援の必要性~

 

昭和55年の高見家のお話

家族の中に一人、失禁する人がいると・・・

家中くさい。

こんなのやってられるか、皆さん、知って下さい。

当時、行政は見向きもしなかった。

家族は追い詰められ、家族は本人をしばいていた。

(・・・京都弁)

 

家族を応援しないといけない、

家族のつらさが和らいだら、

本人にも恩恵として受けられるだろう。

 

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現在

厚労省も、埼玉県支部長の花俣さんに一目おかざ

るをえない。彼女は、実際に介護をしてきた人だ

からである。花俣さんは、認知症の人と家族の会

本部(京都)の理事として、認知症家族のために

日本中で活躍している。

 

家族に余裕ができたら・・・

 

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昨年2017年4月アルツハイマー国際会議の成果

 

◎認知症の幅広さを明らかにした

初期から重度まで/ 若年から高齢まで/

病名も症状もそれぞれ/家族もさまざま

 

(今の時代、初期の段階で診断できるように

なった。当時はウンコを踏んだ、べちゃー、

老人性痴呆と言われ、医者はさじをなげた。

当時は重度にならないと病院に行かなかった。

だから重度の高齢者ばかりだった。

だから、この会の最初の名称は

「ほけ老人をかかえる会」であった。

 

◎「認知症問題とは本人と家族の二人の人生を

ささえること」をさらに明確にした。

 

認知症は、本人だけでなく、家族の問題でもある

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◆家族は悩んだ末に「入所」を決意し、今も

不安を抱えている。(これで良かっただろう

かという不安)

◆家族は「在宅サービス」を利用しても、

24時間の負担を負っている。

◆本人は何もかも分かっているから、不安や

いらだちがある。

 

◆介護者が体を壊し、精神的犠牲になっても

介護しなくてはならない。

逆に、家族が暴力や虐待して、認知症の人が

犠牲になってることもある。どっちかが犠牲

になって、どっちかが救われる・・・という

のは正しくない。

 

◆「家族」とは誰のことか

・中心的に介護に当たっている(いた)人。

・血族か姻族かを問わない。

 

戸籍上の家族がいるからもめる。

兄弟間の悩みが多い。一人っ子と思いなさい。

 

◆家族の声

30年前の認知症の人も、今の認知症の人も、

言ってること、やってることがちっとも変わ

らない。つまり、認知症の人は信頼している

人に対して症状が強く出る。

 

あらかじめ、認知症のことを知っていると

あわてなくて済む。介護は知識があるかな

いかで変わる。

 

制度ができても、昔と今が変わらないのは、

介護者の気が休まらないこと。

自分の時間が持てない、外出できない、留守を

見てくれる人がいないの3つは、制度ができた

ことで少しだけ改善されてきた。

 

◆家族の四つの苦労

・心労とも疲労

・家庭生活の混乱

・先行きの不安

・孤立無援の思い

そういう介護をしている人には、余計なことは

言わないで「大変ですね」とゆうてあげてくだ

さい・・・(京都弁)

何でも忘れてまして、この頃は死ぬのを忘れて

ます。なら、サービスに繋げまひょ。

 

家族がどれだけ安心するか、

隣の人は、困った時には声をかけてね・・・と

言ってあげましょう。

 

◆認知症とは何か?

一度獲得した知識機能(記憶、認識、判断、学習な

ど)の低下により、自己や周囲の状況把握、判断が

不正確になり、自立した生活が困難になっている人

の状態

 

徘徊する人は行動がすばやい。

認知症の人を怒ったらあかん、叱ったらあかん。

 

どこかの国のお役人さんが、さいさん、『記憶

にございません」というのは、覚えているから

そう言うのです。それを言ったら、〇〇さんに

迷惑がかかるから、記憶にございませんと言っ

てるだけです。

 

◆家族が認知症と診断されたら

・ぼけを恥じない、隠さない

・一人で頑張らない (仲間がいれば勇気百倍)

・積極的に制度を利用する(社会で支えるのは当たり前)

 

◆どこまで家で看るか?

●家族の力の限界まで

力の限界は家族によって異なる。

家族状況によって違う!

共倒れになる、病気になる、これ以上やったら

家庭生活がもたない・・・それが限界

 

●家で看ることが良いことか

本人にとっての幸せを基準に

家で看ることが良いことか・・・そんなことはない。

それは家族の自己満足ではないかと思う。

世間体を気にしている人のやることだと思う。

 

妻のところに一日お気に会いに行く。

小一時間一緒にいて、食事の世話をする。

少なめの人での中で、自分がやってるのは、妻との

唯一の接点である。

終わりのないマラソンから、マイペースの運行速度

に変わったことにより、いつまで続いても良いと思

うようになった。

妻の入所は、私にとって最適であり、妻にとっても

最良の生活だと思う。

 

重い石を一人で持てない時に人を呼ぶことに悩まな

いのに、「介護」だけは言いにくい?

一人でやらずに、皆で手助けしてもらえると、少し

ましになる。

●介護に後悔は似合わない

その時その時を精一杯やれば良い

 

◆あなたが認知症と診断されたら

●認知症で人生は終わらない

認知症持って生きる覚悟をする

 

●手助けを求める勇気を持つ

認知症の理解者を増やすことでもある

 

●仲間とともに励ましあう

本人も家族も一人ぼっちでは頑張れない

 

周りの人に、自分を理解してもらうだけでなく

認知症のことを生(なま)で、理解してもらう。

 

◆家族の「道」はつながっている

●介護の社会化を求めて活動したが、介護保険の

恩恵には浴せなかった。

(高見氏がそう。後輩のために頑張った2000年

までの家族)

 

●完璧ではなくても、制度のあるありがたさ

先輩家族の成果を使っている現在の家族

 

●制度の後退は、後輩の家族を苦しめること

後退を許さず、充実を求めることは現在の

家族の責任。

現在と未来の家族のために、みんなで声を

あげよう!