島根から埼玉に帰ってきました。

11/22
私=末娘の名前を、父が「分からん」・・・と言った。
仕方ない。脳梗塞で緊急入院後、2週間寝たっきりだから。
鼻からの栄養を抜き、点滴をもぎとり、ベッド
から降りて落ちたりすることを何度か繰り返し
たので、ベッドの下にはマットが2枚も敷かれ、
両手には拘束の手袋・・・。
父の体が動くたび(=寝返りうったりくしゃみ
をする度に)ナースセンターに警報音がなり、
看護師さんがやってくる。(笑)
父、顔がむくんでいる。
手足はむくんでない。
手足や顔は・・・98歳だというのにきれいな肌。
足なんか白くてすべすべ。
あはは、なんという美肌!
(98歳の父を見てきれいな肌だな~と感心する夫)
父、時々しゃべるのだが何をしゃべっているのか
(私には)さっぱりわからん。
なまりが強いのと、入れ歯が合わなくなったのか。
薬づけの日々で頭がボーッ! 自分でも何をしゃ
べっているかよく分からないのではないでしょうか。

11/24 姪から送られてきた写真
毎日お見舞いに行ってる孫=姉んちの子=私の姪、
23日から食べる訓練も始まった。
半分くらい食べられれば鼻からのチューブを外し
てもらえると言われているが・・・なかなか。

11/22 最寄のインター降りて父の入院している病院へ
父、あちこち拘束されているので機嫌が悪い。
一番は・・・
手袋がヤダ!寝返りがうてない、動けないのがヤダ!
・・・と。

11/23
昨日よりもっと厳重な拘束手袋になってしまった・・・
毎日、前科を繰り返している模様・・・
「ここがどこかさっぱり分からん」・・・
「しょんべん行きたい」・・・
「昨日、アキチャン(=孫)来た」って言ってました。
少しは、頭が冴えてきたみたい。

11/24 むくんでいる

11/24
頭や顔がかゆいので、拘束された手袋でかいて
いるのだが・・・なかなか難しい。命中しない。
私がいる時は・・・私が代わりにかいてあげた。
私が帰る時には、だいぶ頭がはっきりしてきて
バイバイ・・・と手を振ってくれた。

11/25 一番機嫌のいい日
私の夫を見て、「ええ人だのう~」って。
「やさしい旦那さんで、良かったのう」って。
「ありがと!」
98歳でも認知症ではないから、積極的な治療をして
くれるんだな・・・と(私は)思った。
この父は・・・どんどん回復し、12月初旬に4人部屋
に移動でき、歩く訓練が始まった・・・と姪っ子が教え
てくれた。
◆母の特養へ

◆11/22 最初、母があまりに太りすぎて・・・
あまりにむくみすぎて・・・
あまりに変わりすぎて・・・
どこにいるのかさっぱり分からなかった。
目の前の人ですよ・・・と言われてもぜ~んぜん
信じられなかった。うそでしょー!!
最初、母はずーっと機嫌が悪かったり、無表情だ
ったりしたけど、次第に笑顔が出てきた。

◆11/25 すごくご機嫌でした
私といっしょに歌をたくさん歌った。
むくみきった足のマッサージをする時も、いや
がらずにいてくれた。近かったらしょっちゅう
行ってマッサージしてあげたいけど・・・
1200キロぐらい離れているからなぁ・・・。
「あんた、わたしの名前を よう覚えとるね~」
「わたしのこと、知っとるの? そうかね」
「あんた、やさしいのう」
「大好きだわ」



11/25
あんたは、わたしの名前、よう知っとるな~。
わたしは、あんたが分からんわ。
もうそれは覚悟で会いに行ってます。
周りのみんなが私たちの方を見るので、私は向こうに
いる人たち皆と握手して「元気でいてくださいね」と
言ってきた。皆、パーッと明るくなった。
だから、私たちが帰る時に笑顔でサヨナラしてくれる
おばあさんもいた。
みんな、家族が会いにこなければ・・・寂しいのよね。

すぐに寝てしまう。
面倒なのか、すぐに目を閉じる母
起きて~! 記念撮影だよ~! 起きろ~!
歌ったり、手足の曲げ伸ばし、体操など促したりして
1時間くらい滞在して帰った。はい、握手ね!
来年また来るね。
