反面教師と、お手本

◆今年の夏

西日本の私の実家に1か月いて、広いゴミ屋敷に

やっとこさ歩けるような道(=足場)をつけてき

たり、庭の草刈りや樹木の剪定、畑の草刈りなど

頑張った夫。

 

私は7~8年前にこちらに連れてきた母親の介護

(=今、寝たきり)があるし、ママの仕事の間は

孫も預かってるから埼玉から移動できない。

 

夫は私の実家(=普段は空き家)で慣れない食事

作りをして、晴耕雨読で頑張った。

9月末、私もようやく3泊4日で実家に帰るチャンス

が来た。そうしたら、近所の皆さんが「ご主人暑い

のに毎日よう働いてたよ、頑張っとったよ」と教え

てくれた。お疲れ様です。

 

最初の3週間くらい猛暑が続き、台風の時もその地域

だけ風雨がそれたようで、雨がほとんど降らず、その

後も大地は乾きに乾いて、ほとほと困ったらしい。

 

で、

夫が一人で田舎の家や庭や畑で作業してると、近所

の人からよく声を掛けられたそうだ。

「ここの家のお父さんにはお世話になった」

「ここの家のお父さんにはよくしてもらった」・・・と。

 

父は10年も前に、ガンで亡くなっているのだが・・・

いまだに皆さんが思い出してくれるみたいだ。

 

一方、今、同居して在宅で世話している母のことは

田舎の皆さん、だ~れも何とも言わない。

「お母さんは元気か・・・」とも聞かれない。

ずっと田舎でお高くとまっていたんだろうなぁ。

働き者でもなかったし・・・

人にものをあげることもしなかった(らしい)し、

他人のために一つも尽くしてこなかったんだろうなぁ

と、今さらのように推測できる。

 

それよりも、もっとガッカリするようなことを教わっ

た。頭を下げて謝りたいほどのことを母は平気で他人

に言ってたんだなぁ・・・。

 

なんだか・・・

母は、私にとって反面教師だ・・・

今、私は、神様に試されているのかなぁ・・・と思った。

 

なんだか一生懸命母の世話をするの、馬鹿らしいと

思ってしまった。もう施設に入れちゃおうかな・・・。

 

悪いけど、人間、自分勝手に生きてきちゃダメ。

自分さえよければいいはダメ、

見栄だけで生きてるのもダメ。

ご近所や親戚に気持ち良くお裾分けするのが当たり前

にできるくらいでないと・・・ダメ。

ボケた時にだーれも相手にしてくれない。心配もして

くれない。(今、母を思い浮かべて書いている・・・)

 

頭のまともな時に、これっぽっちも人のために尽くし

てこなかった母の生き方が、今頃になって、なんだか

透けて見えてくるんだよね~。

そういうのを知った今・・・

さて、この人とどう向き合うか・・・なんて真剣に考え

てしまった。

 

でもなー。

目の前にいる母は、近場のことはもちろん少女時代

の昔のこともきれいに忘れてしまっている。

話にならない。会話にならない。会話が続かない。

 

私の名前は言えても、私との関係はきれいさっぱり

忘れているようだ。都合の悪い(自分の)旦那さん

のことなんか、この10年間で1回くらい思い出した

かなぁ~ってな感じ・・・。なんたるちあ・・・。

 

母は、私にとってもう戦う相手ではないのだ。

 

ただ、この人の生き方がそうであったように、私も

母に丁寧に向き合わなくてもいいかな、手抜きでい

いかな、だって、この人、他人との関係において手

抜きしまくっていたんだもの・・・と思うようになって

きた。

 

私は自分の体調と相談しながら、自分の体調が悪い

時には介護ではなく自分を優先しよう!と今回は

強く思った。

 

介護は、もう「母」のためではなく、自分のために

やろう、自分のために頑張れる時だけ頑張ろう。

それより・・・介護は頑張らない方がいいかも。

 

やってないから、やれなかったから・・・と罪悪感を

持ったりする必要はない。

だって、母は他人との関係において手抜きばっかり

していたし、人のアドバイスも素直に聞かなかった

らしく・・・評判は・・・すこぶる・・・てんてんてん。

 

お正月に挨拶に来た親戚に向かって、「うちはお年

玉はあげません」って言ったらしい。どの顔をして

そんな意地悪なことを言ったんだよ~と私は恥ずか

しいやら、情けないやら・・・。

うちは本家(ほんけ)だぞー。いつも見栄張ってる

くせに、お正月だけでも本家らしいことをしなきゃ

ダメじゃないか・・・と私でも分かる。

 

父はそんなことを言う人ではない。

それどころか、お菓子をよそんちの子供の両手いっ

ぱいに渡すような人だ。

 

父と母の・・・このギャップ・・・

父は誇らしい。

亡くなって10年経っても慕われている。

私は父をお手本に生きていこう!

 

自分の体の限界が来る前に、母は施設に預けよう。

前よりもっと気楽にそう思うようになった。

自分の体調が悪ければ、ショートステイをすぐに使

おう。一生懸命自分で介護した方がいい・・・など

と思わない方がいい。

うちの場合は・・・母に愛情込めて育ててもらった

かなぁと首をかしげるようなとこ、あるから。(笑)

 

ただ、ご飯はしっかり食べさせてもらった。

母はお料理が下手だったから、買ったものが多かっ

たけど・・・それでも、お魚煮たりお刺身を作るのが

上手だった。毎日ほとんど代わり映えしないメニュ

ーだったけど、お腹が空いたことはなかったと思う。

 

だから、今、私も母に栄養のあるもの、食べさせて

いる。30本ある自分の歯で、母はもりもり、がり

がり噛んで食べている。たぶん自然治癒力いっぱい

だと思う。

 

私は、自分で楽だと思える介護をすればいいのだ。

施設に預けると、会いに行くのが面倒。

今のところ、家にいてくれる方が、私が「らく」。

 

孫が来た時に、あの頃はひいばあばと生活するって

ことが当たり前の家だったね・・・くらいでいいと

思う。

 

私の友達の家では、愛情込めて育ててもらったので

恩返しとして家族で愛情込めて最期まで在宅で介護、

もう美しいお手本のような懸命な介護をして穏やか

に看送った家もある。

それまで生きてきたように、看送られていった幸せな

お母様の例もある。

 

人それぞれ。その家、それぞれ。

 

うちなんか、8年、毎年(1回)帰省しても、まだ

まだゴミ屋敷の片付けが終わらない。「ホントにだら

しのない母でごめんなさいね」・・・と夫に謝る夏。

 

人はね、生きてきたように死ぬ(かも)。

 

残りの人生、人に尽くして生きていこう。

家族だけでなく、ご近所や他人に尽くす。

お金じゃないのよ。

心・・・やさしいこころ。

父の十数年前の親切が・・・今、いろんな人から

「あんたのお父さんには世話になった」「いろいろ

教えてもらった」っていう嬉しいことばになって、

戻ってくる。

 

なんか、ご褒美もらったようだ。

お金をもらって嬉しいんじゃないのよ。

ご褒美なんかお金じゃなくていいんだ。

ことば。やさしいことば。

 

父の思い出を語る他人の「ひとこと」・・・が今の私

や夫を元気にした。

 

いいお手本を思い浮かべながら、私も生きていこう。

 

キンモクセイふぶき

10/1

台風一過

埼玉は最高気温33.8℃とかで、日差しが強いし暑い!

このところずっと涼しい日が続いていたので、この

暑さ、こたえます。今日は木陰を探して歩きます。

 

窓を開けると、このところずっとそれらしい香りが

しておりました。どこから??

 

さて、なんでしょう?

小学校高学年の女の子がこれを両手ですくって

砂のようにパーッて上にまき散らしていました。

楽しそう!

 

春だと・・・桜吹雪

秋だと・・・キンモクセイ吹雪?

 

 

そう、キンモクセイ。

ここは、キンモクセイ公園

いいえ、浦和区上木崎(かみきざき)の公園

 

 

サッカーするのに適した広い公園

周囲の樹木が・・・すべてキンモクセイ。

だから今の時期、上も下もオレンジ色です!

きれいです!

においも・・・すごいです!!

介護家族ならではの光景

◆いかにも「介護家族」らしい画像を数枚

載せます。

 

孫がおばあちゃんち(=私の家)でピアノの

練習をします。

「おばあちゃん、足台ない?」

「ないよ。ひいばあばのおむつ、どうかな?

好きな高さにして使っていいよ」

「わかった」

 

 

 

9/15 高見国生氏の講演 家族支援の必要性

2018/9/15

認知症の人と家族の会埼玉県支部の

アルツハイマー記念講演会、高見国生氏の講演内容

と、私が感銘を受けた箇所を書きますね。

高見さんは京都府庁に勤務しながら、認知症の人と

家族の会の前身「ぼけ老人をかかえる会」を作った

人の一人、昨年まで代表をなさっていました。

 

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【認知症の人の家族も、当事者である ということ】

~家族支援の必要性~

 

昭和55年の高見家のお話

家族の中に一人、失禁する人がいると・・・

家中くさい。

こんなのやってられるか、皆さん、知って下さい。

当時、行政は見向きもしなかった。

家族は追い詰められ、家族は本人をしばいていた。

(・・・京都弁)

 

家族を応援しないといけない、

家族のつらさが和らいだら、

本人にも恩恵として受けられるだろう。

 

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現在

厚労省も、埼玉県支部長の花俣さんに一目おかざ

るをえない。彼女は、実際に介護をしてきた人だ

からである。花俣さんは、認知症の人と家族の会

本部(京都)の理事として、認知症家族のために

日本中で活躍している。

 

家族に余裕ができたら・・・

 

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昨年2017年4月アルツハイマー国際会議の成果

 

◎認知症の幅広さを明らかにした

初期から重度まで/ 若年から高齢まで/

病名も症状もそれぞれ/家族もさまざま

 

(今の時代、初期の段階で診断できるように

なった。当時はウンコを踏んだ、べちゃー、

老人性痴呆と言われ、医者はさじをなげた。

当時は重度にならないと病院に行かなかった。

だから重度の高齢者ばかりだった。

だから、この会の最初の名称は

「ほけ老人をかかえる会」であった。

 

◎「認知症問題とは本人と家族の二人の人生を

ささえること」をさらに明確にした。

 

認知症は、本人だけでなく、家族の問題でもある

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◆家族は悩んだ末に「入所」を決意し、今も

不安を抱えている。(これで良かっただろう

かという不安)

◆家族は「在宅サービス」を利用しても、

24時間の負担を負っている。

◆本人は何もかも分かっているから、不安や

いらだちがある。

 

◆介護者が体を壊し、精神的犠牲になっても

介護しなくてはならない。

逆に、家族が暴力や虐待して、認知症の人が

犠牲になってることもある。どっちかが犠牲

になって、どっちかが救われる・・・という

のは正しくない。

 

◆「家族」とは誰のことか

・中心的に介護に当たっている(いた)人。

・血族か姻族かを問わない。

 

戸籍上の家族がいるからもめる。

兄弟間の悩みが多い。一人っ子と思いなさい。

 

◆家族の声

30年前の認知症の人も、今の認知症の人も、

言ってること、やってることがちっとも変わ

らない。つまり、認知症の人は信頼している

人に対して症状が強く出る。

 

あらかじめ、認知症のことを知っていると

あわてなくて済む。介護は知識があるかな

いかで変わる。

 

制度ができても、昔と今が変わらないのは、

介護者の気が休まらないこと。

自分の時間が持てない、外出できない、留守を

見てくれる人がいないの3つは、制度ができた

ことで少しだけ改善されてきた。

 

◆家族の四つの苦労

・心労とも疲労

・家庭生活の混乱

・先行きの不安

・孤立無援の思い

そういう介護をしている人には、余計なことは

言わないで「大変ですね」とゆうてあげてくだ

さい・・・(京都弁)

何でも忘れてまして、この頃は死ぬのを忘れて

ます。なら、サービスに繋げまひょ。

 

家族がどれだけ安心するか、

隣の人は、困った時には声をかけてね・・・と

言ってあげましょう。

 

◆認知症とは何か?

一度獲得した知識機能(記憶、認識、判断、学習な

ど)の低下により、自己や周囲の状況把握、判断が

不正確になり、自立した生活が困難になっている人

の状態

 

徘徊する人は行動がすばやい。

認知症の人を怒ったらあかん、叱ったらあかん。

 

どこかの国のお役人さんが、さいさん、『記憶

にございません」というのは、覚えているから

そう言うのです。それを言ったら、〇〇さんに

迷惑がかかるから、記憶にございませんと言っ

てるだけです。

 

◆家族が認知症と診断されたら

・ぼけを恥じない、隠さない

・一人で頑張らない (仲間がいれば勇気百倍)

・積極的に制度を利用する(社会で支えるのは当たり前)

 

◆どこまで家で看るか?

●家族の力の限界まで

力の限界は家族によって異なる。

家族状況によって違う!

共倒れになる、病気になる、これ以上やったら

家庭生活がもたない・・・それが限界

 

●家で看ることが良いことか

本人にとっての幸せを基準に

家で看ることが良いことか・・・そんなことはない。

それは家族の自己満足ではないかと思う。

世間体を気にしている人のやることだと思う。

 

妻のところに一日お気に会いに行く。

小一時間一緒にいて、食事の世話をする。

少なめの人での中で、自分がやってるのは、妻との

唯一の接点である。

終わりのないマラソンから、マイペースの運行速度

に変わったことにより、いつまで続いても良いと思

うようになった。

妻の入所は、私にとって最適であり、妻にとっても

最良の生活だと思う。

 

重い石を一人で持てない時に人を呼ぶことに悩まな

いのに、「介護」だけは言いにくい?

一人でやらずに、皆で手助けしてもらえると、少し

ましになる。

●介護に後悔は似合わない

その時その時を精一杯やれば良い

 

◆あなたが認知症と診断されたら

●認知症で人生は終わらない

認知症持って生きる覚悟をする

 

●手助けを求める勇気を持つ

認知症の理解者を増やすことでもある

 

●仲間とともに励ましあう

本人も家族も一人ぼっちでは頑張れない

 

周りの人に、自分を理解してもらうだけでなく

認知症のことを生(なま)で、理解してもらう。

 

◆家族の「道」はつながっている

●介護の社会化を求めて活動したが、介護保険の

恩恵には浴せなかった。

(高見氏がそう。後輩のために頑張った2000年

までの家族)

 

●完璧ではなくても、制度のあるありがたさ

先輩家族の成果を使っている現在の家族

 

●制度の後退は、後輩の家族を苦しめること

後退を許さず、充実を求めることは現在の

家族の責任。

現在と未来の家族のために、みんなで声を

あげよう!

長野県小布施(おぶせ)報告

◆9/17(祝)

今日だけ何も用事がない日。

家族は私の実家(空き家)の草刈へ、母はショー

トステイ。というわけで、家には誰もいない。

どこかに行こう!行かねば!自分だけの時間なん

て滅多にないから有効に使おう。さてどこへ行こ

うかな。

「そうだ、長野、行こう!」

JR東日本大人の休日倶楽部の会員なので、長野み

たいに遠い所だと乗車券が3割引きになる。

 

BS半分・青いを見終わって大宮駅へ向かう。

みどりの窓口で「長野まで新幹線の自由席で一枚

下さい」。その切符を持ってホームへ行くと北陸

新幹線「かがやき」しか来ない。あれれ、全席指

定との表示。

「すみません、自由席を買ったんですけど、今の

時間帯、指定に変えてもらわないとどれにも乗れ

そうにないデスね」

「あそこで、本日の指定席に変更してもらって下

さい」

係員のいる通路で改札をバックすることを認めて

くれた。「買ったら自動改札を通らず、またここ

を通って下さいね」

「はい」

持ってる新幹線特急券に360円追加した。

 

大宮駅の次が「長野」なんですね。速い!1時間

かからなかった。ホントは上田か佐久平(さくだ

いら)で降りたかったが・・・かがやきはいきなり次

の停車駅が「長野駅」だった。便利やわ~。(^_^.)

 

さて、↓ ここは長野電鉄の長野駅

シャインマスカットと巨峰を買っている人

ここは長野電鉄:長野駅の改札窓口

 

小布施までの切符を買ったけど、「須坂」行きの

電車が来ていたから、まずこれに乗って須坂駅で

次の電車を待ってればいいやと思ったけど、改札

の駅員さんが教えてくれた。

「あと30分待って信州中野行きの電車を待った

方がいいですよ」

「須坂駅のホームで待ってようかと思ったのです

が・・・」

「須坂駅のホームには何もないですよ。外にも

出られないし。出てしまうと切符が無効になっ

てしまうし。このまま長野駅で30分まで待った

方がいいですよ」

「そうですか?ではあちこち回ってくることに

しましょう」

駅員さんも老婆心というか親切なんでしょうね。

 

駅改札の前に新鮮野菜や果物がいっぱい。

人気があるらしく、いろいろな人が求めていた。

で・・・

私は、シャインマスカットを選んでいる人に聞

いてみた。「これ、どこでお金払うんですか?」

「駅の窓口で」

「へー! 窓口でですか?」

「そう。ここの野菜はね、規格外なだけで味は

全然変わらないの。美味しいのよ」

「そうですか」

 

男性も女性も、若い人もそうでない人も、地元

で採れた新鮮野菜や、今ちょうど旬である果物

やキノコを求めていた。

豊富で、量があって安いんだわ、ここ。

ミニJAのような旬のコーナー。地元の人や観

光客にも人気があることを知った。

 

買いたいけどこれを持って散策はできないや。

荷物になる。

でも、シャインマスカットだけは(規格外と

書いてあったが)大きいものが800円均一だっ

たので、大きい1房を選んで買ってきた。大事

に大事に持ち歩いた。(^_^.)

 

きっと味は変わらないだろう。大宮のお店では

シャインマスカットって高いんだよね。買った

あと1粒食べたけど・・・ほっぺたが落ちそう

なほど美味しかった。

 

30分に一本くらいしか電車が来ないから、駅員

さんもまさか野菜の販売員を兼務するとは最初

は思わなかったろうけど、暇な時間帯でも野菜

や果物を求めて窓口に並ぶ人がいるから、それ

はそれで仕事になって良かったのでしょうね。

 

信州中野行きに乗ると途中に「小布施(おぶせ)」

がある

 

小布施の町なかや家々のお庭や畑に、たわわに

実る栗がいっぱい。今まさに旬です!

 

これが栗の葉

どの家も庭木をりっぱに育て、管理しています。

小布施には豊かな家が多いんだなぁって思いま

した。

 

札幌ではオンコの実と言います。

本州の人は「イチイ」と言います。

小布施にはイチイの木がいっぱいありました。

庭木だけでなく垣根としても親しまれている

ことを知りました。

子どもの頃、札幌で学校帰りによく食べました。

こんな時期だったかどうかは忘れているけれど、

久々にオンコの実に会えて嬉しかったです。

 

 

この大きなカボチャには、「二千十八年交通安全」

って彫ってありました。

 

 

メタセコイヤ

 

ここ小布施は初めてではありません。

いつも人の多い時に来るからゆっくり回った経験

がありません。

駅の改札隣の観光案内所、ボランティアがいっぱい

いる所で地図をもらおうと思って寄りますと・・

しっかり捕まりました。

地元の有名な観光地を一生懸命紹介したい男性に

私は、「町なかの人が多いところの観光は今日は

したくありません。まず、小布施農場へ行きたい

です。人の少ない所でゆっくりしたい」

その方は面白い方で「小布施牧場の散策が終わっ

たら、松澤邸を通ってこっち側回りで町なかに戻

るとヨイでしょう」と言う。

「松澤邸ってなんですか?」

「あはは、僕んちです。小布施牧場の駐車場のすぐ

そばです」

「アハハ。松澤邸ね。お城でも建ってるんですか?」

「あはは」

 

三連休ですから小布施の町は車がすごく多い。

私が向かう所はメインストリートではないので歩

道がなくて怖いです。危ないので途中で地図には

載ってない抜け道を通ります。ちょっと迷路っぽ

いけど、その方が素敵な家や果樹園に出あえます。

どこも家の周りを綺麗にしています。発見。

どこも広いですね!

 

 

 

カラスよけ?鳥よけの かかし(みたいなもの)

 

たわわに実りすぎて、地べたにもリンゴがつい

ている。いっぱい落ちて朽ちているのもある。

上の7枚の画像、みな同じおうち、同じ敷地です。

広い!

 

◆地元の人の親切に触れました

 

案内所でもらった地図が、牧場へ向かう方には

(メイン道路ではなかったせいもあって)丁寧

に書かれていなかったのね。それにボランティ

アの男性の付け加えた道も地図に載ってなくて、

実際にどれだか分からなくて、返ってわかりづ

らかった。

 

なもので

迷ったのだが、なにせ人が歩いてない。聞きた

いが人が見えない。ちょっと大きい道に行こう、

人がいるかも。

小さい車が、こっちに向かい、必ず右折する。

あそこには何かあるかも?人がいるかも?

あ、人が見えた。良かった、声をかけた。

 

ここは、どこかの工場の裏側みたいだ。

栗が見えた。いっぱい!

 

 

道を聞いた。

「そこなら帰り道だからあとで車に乗せてあげます」

「いえ、いいんです。歩けますから」

 

途中で、工場の人が来て、教えてくれた女性と

工場の人が話を始めた。

栗の話ではなく、小学校の先生の話をしていた。

目の前の女性んちの小1年の男の子と、工場の男性

の子が同級生みたいだ。

 

工場の人とのお話が終わってから、再度聞いた。

「ここって何をする所ですか?」

「ここは、栗の和菓子を作っている工場で、栗の

買付をしてくれる所なので、みんな家で採れた栗を

持ってきているのです。うちも」

「あ、そうなんですか。ここは栗の工場なんですか。

じゃ、これはお宅の栗なんですね。大きくて立派な

栗ですね。・・・で、この男の子とあちらの工場の

人の子が同級生って訳ですね、よ~く分かりました」

 

 

あとから工場の屋根にでっかく「竹風堂工場」と

書いてあるのに気付いた。

(1)担当者不在の場合は、左奥のインターホンで

お呼び出しください

(2)休憩時間

10時~10時10分  15時~15時10分

(3)栗買付の受付は

午前9時から12時  午後1時から4時

(4)泥、葉、皮くず等を取り除いてください

虫食い、変色、乾燥等の、不良栗、割れ栗は

取り除いてください

と書いてある。

 

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信じられない話だけど、ご親切に車に乗せて下さ

った。

1年生の男の子が助手席、ママが運転手、そして

後部座席にママのママ(またはお姑さん)、そし

て3歳くらいの女の子を私が抱いて座らせていた

だいた。

途中で「今日警察多いですよね」という話はした。

小布施牧場の駐車場で「ご親切にありがとうござ

いました」と頭を下げて降りた。

 

ら、ら、ら、なんと!

私の真後ろに警察がいた。バイクを下りた警官が

私のすぐ後ろにいた。

私たち、なにかしたっけ?

 

警察は、やさしい声で、運転手に話しかけた。

「さっき見てたんですが、前の男の子はシート

ベルト、締めていませんでしたよね」

「今日はこっちに座らせていたもので・・・」

男の子はシートベルトを締めると、首に当たっ

てしまい、首を絞めるみたいで返って危なそう

だった。

 

「スミマセン、見ず知らずの私が乗ったもので、

あの男の子が前に行ってくれたのですが・・・」

(どうか、この人を捕まえないで、こんなに親切

にしてくれたご家族なのに)と思った。

 

今日は注意だけですので、今度からをつけてくだ

さいね・・・で済んだ。

良かった、私もホ~ッとした。

頭を深く下げて、お礼を言ってお別れした。

 

 

続いて、今年開業の小布施牧場、雑木林のジャー

ジー牛と、ジェラートの話をします。

まあ、小布施に来て、栗の銘菓の話もせず、葛飾

北斎の話もしない人は・・・珍しいでしょうが。

(以前行ったから今回はパス。介護から解放され

た貴重な一日なので、というか、家事も放棄して

せっかく来た小布施なのでマイペースでゆっくり

やりたい)

 

◆雑木林の中の子牛2頭

駐車場の横にジェラートを売っているステキなお店

があって、皆さんはアイスを食べていたが、私は牛

を見に来たので、牛の居場所をお店の男性に聞いた。

林の中にジャージー牛の子牛が2頭いますって。

 

 

 

この男性、荷物を持って、赤ちゃんを胸に抱っこ

しているのに一本綱を渡り始めた。

あぶないな~赤ちゃんがいるのに・・・と思って

見ていたら、すぐに落ちたので良かった。

 

足元に切り株

 

 

 

あちこちに椅子がある

何時間も座っていられそう。

 

いつまで行っても牛舎にたどり着かないので

すれ違った男性に聞いてみた。

「牛はあっちの囲いの中で見られるよ。

こっちではないよ。入口は向こうみたいだ」

「はい、ありがとうございました」

 

牛舎は(たぶん)一般の人には見えない所にあるの

かもしれない。それらしいものはなかった。

雑木林の囲いの中に、子牛が2頭いるってことなのか

もしれない。

 

「大きなキノコですね」

帽子にいっぱいのキノコ

これは食べられるキノコですか?

いや、まだ分からないんだよ。家に帰って図鑑で

調べてから食べますって。

あはは

 

土手の上に行ってみた。さっきの工場の看板が見えた。

 

ススキがきらきら光っていた

 

なんか遠くに見えてきた

カメラのズームで見えた可愛いお顔

 

本当はこんなに離れている。

かなりのズームで撮影してます

首が90°動くんですね

 

 

人間が歩く場所も、チップを敷いている

足にやさしい。

 

今年の夏は暑かったから、こういう雑木林は

牛にとっても、和みの木陰だったことでしょう

 

 

今度はお弁当を持ってきて、ここに座って食べましょ。

 

ミルグリーンと書いてます

 

 

駅案内所、松澤邸のことはすっかり忘れている。(笑)

 

地図に載ってないけど、四季の道と書いて

あった松川沿いの道を一人歩く。

誰にもすれ違わなかった。

 

目の前に長野電鉄の線路。

通行者は、線路の下を通る。

 

ここを左にくだり、右折して線路の下をくぐる

 

はい、線路下をくぐります

 

線路の真下から線路を見上げる

 

 

川沿い一直線の人の道(車は通れません)

 

松川橋を渡る

 

西、遠くに高速道路が見えます

ホントは新生病院 礼拝堂に行ってみたかった

のだけど、一万歩近く歩いていて日頃の運動が

響いた。遠回りせず町なかに向かおう。お腹も

すいてきた。

 

町なかに入ってきました

行列ができ、にぎわう和菓子屋さん

私は・・・栗の和菓子にあんまり興味がない。

 

栗の小径(こみち)を歩きたかったけど人が多

すぎたのか見つけられずに、違う道にきてしま

ったようだ。とにかく人が多かった!

それにこの地図、わかりづらかった。

普段は地図見て、よその土地の町なかを歩くの

が好きなんだけど・・・なんか省略の多いチラシ

だった。

 

人が多い所、苦手。

どんな所か知らないが町民ギャラリー、6次産業

センターにも行ってみたかったけど、どれも中心

部から離れていて、足と相談してやめた。

疲れた。なんかボーっと座れるところが日陰が

ほしいな~と思った。

この日は長野も蒸し暑かった。日差しも強烈で、

おりたたみ傘(ホントは雨用)をさして歩いた。

 

お客の少ないお蕎麦屋さんへ入った。

外のテーブルが1つ空いていたので、涼しい外

に座った。ちょっと風が強すぎたみたいでお店

の人が幟を片付けていた。(笑)

私も海苔が飛ばされないように、最初に食べた。

 

 

帰り、若者4人の後ろについていったら、近道

なのか、小学校の門を入っていった。

「いいの?」と思ったけど私も後ろに続いた。

 

そうしたら

やっぱり小学校の玄関の横、通路を通っている

ようで、都会なら入れないし、叱られるかも?

と思ったが、田舎はのんびりして平和だな~と

思った。

ここは木陰もあり、風もさわやかでいい。

たぶん、平日は警備員がいるだろうから入れない

のかもしれない。

 

小学校の運動場の真横に図書館

撮影しなかったけど、運動場の左は町役場。

 

ステキな図書館

 

広い運動場と校舎

駅に貼ってあったポスター

さっき、橋の下をくぐりぬけた時は電車が通ら

なかったけど、しばらくして振り向いたら、

この電車が通っていった。あっというまだった

から撮影しなかったけど、「のんびり号」って

いう電車なんだね。

 

ブラムリーという料理用のリンゴを小布施の名物に

したいらしく、一生懸命宣伝していた。

 

 

実際に使われているのは、右の線路だけ。

左は展示用。

 

 

左が展示用だと知ったのは、ホームで待っている時、

下の画像のように、向こうの線路の上を親子が歩い

たり、若者や、カップルが通ったりするので、あち

らの線路は人が歩けるんだな、ではあそこに置いて

ある電車は、中に入ることができるのかな・・・と思っ

たわけ。

 

知らなかった。私も行ってみたかった。

 

帰りの長野駅は混雑していた。指定席は無し。

長野駅発の各駅停車、あさま号に乗った。

長野から乗ったひとは皆座れたけれど、軽井沢

から乗車の皆さんは座る所なんか全然なくて、

ほとんどの人が立っていた。

 

 

帰りの新幹線で、上田城跡が見えたのだけど・・・

土台が・・・土台が・・・

もろいのでは?と思った。

大雨降ったら土砂崩れになりそう。

新幹線の線路にまで押し寄せてこないかしらん?

と。

 

土がむき出し・・・大丈夫かなぁ。

 

浅間山(あさまやま)雲に隠れてます

 

左は子持山、右は赤城山(あかぎやま)

中央の雲は、谷川連峰の方だと思います。

 

高崎駅で停車中に東口を撮影

左側=ヤマダ電機へつづく ペデストリアンデッキ

 

中央の高い山=日光男体山(なんたいさん)

 

今日は雨に合わなかった。熊谷も曇っていただけ

 

「まもなく大宮、大宮です。お降りの方はお支度

ください」の所で、地面がびっちょり濡れている

のに気づいた。(新幹線の中から)

あれれ、大宮方面、夕立ちが降ったかも。

 

駅の外に出たら、雨は上がっていたけれど、自転車

がびっしょり濡れていた。駐輪場のおじさんに聞い

てみた。「ザーッと降ったのですか?」

「ザーなんてもんじゃない、ものすごかったよ!」

と言って、サドルを拭くためのタオルを貸してく

ださった。

 

はい、本日は

17000歩くらい歩いた。しっかり筋肉痛。

 

◆本日のメイン

小布施(おぶせ)牧場は、今年3月にできた新しい

牧場だったんですね。

https://obusedairyfarm.co.jp/