2011年3月11日
あの頃、私はまだ実際に介護していなかった。このあと5ヶ月後?には関東からずいぶん離れた地方の田舎から認知症の母を埼玉に連れてくるのだが、まだこの時点でそんなこと全然頭にもない。そんな日が来るなんて夢にも思ってない
あの頃は育孫をしていた。
可愛かった~
週に3~4日、お昼から午後8時くらいまで生後4ヶ月の赤ちゃん=孫を預かっていた。
大地震が起きたとき、自分は死んでもこの子だけは守らなきゃ❗️と必死だった。
その日に限ってすごくよく寝てくれた。機嫌もよかった。ありがとうね。
マンションの友人の息子さんが、ボクにできることはありますか?って家に来てくれた。感謝します。
家族とは連絡ついた人、つかない人、いろいろ。
赤ちゃんのママ=娘は、夜にはわが家に着いて、その日はうちに泊まることができ、赤ちゃんとママ、そしてばあば👵=わたし、3人仲良く寝た。
赤ちゃんをママに渡すことができて心底ホッとした。
赤ちゃんのパハは、会社で寝た。
私の夫も会社で寝て、早朝、川越回りで大宮に戻ってきた。その日は姪の結婚式があるからだ。
結婚式やるの?中止のお知らせが来ないから、その後、品川のホテルに夫婦で向かった。
他の子どもたちはどこにいたのだろう?
うちにも2週間後に結婚式を迎える息子がいたけど、もう会社の社宅で暮らしていた。
もう1人の息子はあの頃横浜にいたかな?
大震災が起きたとき、一家全滅にならないように、家族が各地に分散して住んでるのもイイもんなんだな、と思った。
大震災の年から始まって10年間、母の介護が始まった。
6年くらい、母の介護と週に3~4回の孫の見守りが重なった。若かったからできたのだと思う。
あの頃赤ちゃんだった孫は、もうすぐ中学3年生。
大きくなりました。