朝日新聞9/18「くらし」介護編より

朝日新聞9/18 をそのまま引用します。どこかで「途中省略」で飛ばそうと思いましたが、介護を実際にやってる人には目が覚めるような救いのことばが入っている文章なので、全部引用します。朝日新聞さん、全部引用いたします。ご了承ください。

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老いていく親と私 介護編

「親不孝介護」のすすめ ㊤

「子に責任」の価値観変えて

働き盛りの現役世代は、親の老いとどう向き合ったらよいのか。「親不孝介護~距離を取るからうまくいく」の共著があり、企業で働く人たちの介護相談に応じているNPO法人 となりのかいご の川内潤代表理事(44)に聞いた。

将来、上手に介護サービスを使いたいのですが。

介護の主体は誰でしょう。

子どもでしょうか。

そこです。本来、介護サービスを利用するのは、高齢者本人です。それなのに、いつの間にか主体が家族に変わってしまう。ここにもう、ゆがみが浮かんでいるのです。

そこには、「親の介護の責任を子が取る」という前提があるはずです。親の面倒は家族で見るという「常識」、マインドセットが、私たちの中に相当強くあると思います。これを「親孝行の呪い(のろい)」と呼んでいます。

以前、こんなご家族がいました。息子さんがお母さんを一生懸命介護していて、お母さんはとても清潔で健康的でした。一方で、息子さんは食事も取れていないようなボロボロの状態。

他にも、親をどなってしまったり、手を上げてしまったり、という家族もたくさん見てきました。家族が責任を取るあまりに、家族も本人も傷ついていく。これが果たして「よい介護」「適切なケア」なのでしょうか。

「介護は家族で」というイメージからこうした現実が起きているのなら、その価値観を変えなければいけません。

子どもは親の介護の責任を取らなくてよい、と。

子どもが責任を取ろうとすると、私たちの生活水準から見たときの適正化を図ろうとしますよね。3食しっかり食べて健康を目指して欲しい。糞尿(ふんにょう)は漏(も)らさないで欲しい。

でも無理です。老いていくんですもの。海から寄せてくる波を止められないのと同じです。自然現象なので。

家族にまず必要なのは「老いを受け止める」ことです。そして、親の老いや介護の責任から自分をそらしてあげる。そうしないと、最初からボタンが掛け違ってしまいます。

 

朝日新聞9/17「くらし」介護編より

朝日新聞朝刊 9/17 「老いて行く親と私 介護編」 一部分そのまま引用します

◆後悔したくないから ㊦

・・・淡々と、仕事の延長のように・・・

「看護師のクミコさん(59)が認知症の母親(75歳)を介護して4年になる。当初は複雑な思いもあった。

小学3年生の時、父(83)は母と再婚した。1年後に弟が生まれると、母はその子ばかりかわいがった。

(途中省略)

母は「弟を大学に行かせたいから、あんたに使うお金はない」と言った。

それなら、自分のお金で勉強できる学校へ行こう。看護学校に進んだ。働きながら勉強し、卒業後は寮に入って働いた。がむしゃらに働き、結婚し、子育てをし、ここまでやってきた。

コロナ禍に見舞われると、看護師のクミコさんに「ばい菌や。うちには来ないで」と母は言った。それでしばらく実家には行かなかった。そこへ父からのSOSだった。

(途中省略)

いま、母の介護を淡々としている。仕事の延長のような気がする。

「ありがとう」と母に言われたことはないし、感謝されているかはわからない。それでも自分の意志で介護しているのだから、かまわない。

(途中省略)

介護はひとりで抱え込まない。全力で走らない。それがヒケツだと思う。

デイサービスなどを利用し、友だちと海外旅行にも行った。人生を充実させたい。自分の人生だから後悔したくない。そう思う。」