2024年4月11日の朝日新聞朝刊 くらしより
「能登半島地震 あのとき医師は」
「在宅医として② 福祉避難所でのみとりも」
この記事の中で心に残った部分をそのまま引用します(以下の青字)
紅谷(べにや)さんとは、在宅医療専門の医療法人オレンジ(福井県)の代表(47歳)
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紅谷(べにや)さんは言う。「人は誰でもが亡くなる。死を遠ざけるというよりも何らかのつながりを持ち、語り合える場で命をまっとうしてほしいという思いだった」
これまでのようなくらしをするための支援を必要とするお年寄りが多い中、福祉避難所は必要な場所だった。
ただ、断水していてトイレの水は流せない。入浴もない。道路状況が悪いこともあり届く救援物資はおにぎりやパンなど炭水化物が中心。新型コロナなどの感染症は流行を繰り返した。
広域避難はなかなか進まず、お年寄りは少しずつ弱っていく。「もう少し回復しやすい場所に移せないか」。
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