11/30  母、救急車に乗って病院へ

 

◆2020年11月30日(月)

午前中は、私自身の体調があまりよくなくて静かにしていた。

1つの丸い大きな鉢に、いつのまにかアボカドの芽が5つも出て、

徐々に育っていって、かなり手狭になった。植え替えてあげなく

ちゃ。

4月中旬に買ったカーネーションは今も葉っぱがふさふさ。今も

花が1つだけ咲いている。11月末だというのに頑張って咲いてい

る。ありがとうね。

 

 

ポポーは、10月末に長野県白馬村へ行った時に、途中の道の駅

みたいな地元の農産物販売のところで買った。たいして美味しく

はないのだけど、新潟の南魚沼の外山康雄(とやまやすお)野の

花館で頂いたことのある思い出深い実(ポポー)なので、今回長

野で見つけたので嬉しくて、育ててみようと、実を食べたのち種

を保存しておいた。

 

園芸店のスタッフが、「ポポーは東京でも育てている人がいるよ」

と教えてくれたので、埼玉でも育つかもしれない・・・と。今は

植える時期でもないだろうが、土の中に入れておいた。

 

午後から2時間、ベランダで作業した。今日はポカポカ陽気で、

日当たり抜群のベランダでの作業は暑いくらいだった。そのとき

はまだ平穏な一日。

 

夕焼けや満月がきれいでした・・・で無事に終わる一日のはず

でした。

 


18時36分、満月を撮影。

朝日新聞埼玉版で、本日の月齢は15.9 なのを知っていた。

 

午後7時前から夫と食事をし、それを済ませて、次は母の番。

7時20分頃から、母と一緒にニュースや鶴瓶の家族に乾杯(NHK)

を見ながら、母にご飯を食べさせた。

そういえば、この日、携帯とかスマホとかを見てないな~とカバン

を探す。出てきた。昨日から入れっぱなしだった。どちらもマナー

モードになっていた。マナーモードにしてカバンに入れっぱなしだ

ったので、音に振り回されず、静かな一日を過ごしたことになる。

 

あ、メールが来ていた。見てないから返信もしていない。

 

◆11/30   18時10分  板橋のお散歩カメラマンさん発

まもなく満月です。18時30分が満月です。そちらはもう見え

ていますか?

こちらはうす雲の中に見えています。

今、半影月食が進行中ですが、恐らくわからないと思います。

 

お散歩カメラマンさんから18時10分「満月メール」が来ていた。

そのときはメールに気づいていなかったが、本日の満月は18時36分

に(既に)撮影していた。ちゃんと今も満月を確認しましたよ、の

つもりで再度撮影。それが下の写真、19時48分撮影。

 

 

すぐにお散歩カメラマンさんに返信メールを書いた。書いている

最中に、後ろの母を振り返ったら・・・信じられないことになっ

ていた・・・

 

一瞬で、わたしの心臓、どきどき鳴った。

母、車イスに座って仰向けで、真っ白な顔をして、まるで死んで

いるように見えた。反応なし。目も細く開いただけで唇も真っ白

・・・。

 

なんで、なんで?

Aさん!Aさん! 夫を呼んだって来やしない。一番向こうの

(自分の)部屋に引っ込んでいるので呼んだって来やしない。

 

お母さん、起きて!起きて!

顔を触ると冷たい。すごく冷たい。

さっきまでご飯を食べさせていたのに・・・食べ終わって、私が

母に「ごちそうさま~」と言うと母も「ごちそうま」と小さい声

で私のことばを繰り返したのに・・・それから私は携帯を探し、

ベランダに出て満月を1枚だけ写してリビングに戻ってきただけ

なのに・・・。

 

もう私、パニックになってしまった。

死なないで、死なないで! Aさん来て! 来てー!

 

母・・・反応なし。 老人ってこんなに簡単にパタッと死ぬの?

あわてた。大いに慌てた。

 

午後8時・・・救急車が来てくれた。ドクターカーも来てくれた

らしい。あとから夫が教えてくれたが7人くらい家に来たらしい、

救急隊員が来ていろいろ質問された。口が乾ききった私、自分の

方が倒れるかと思ったが、倒れちゃいかん・・・と何度も深呼吸

した。

 

母、〇〇損傷で赤十字に入院したことがあります。あと、大腿骨

骨折で赤十字に入院したことがあります・・・と伝えた。

 

途中で、母が「はい」と小さい声で言った。

生きてる!

 

顔は白いが、意識が少し戻ったようだ。ドクターカーは帰ってい

った。 (意識が戻ったので)救急隊に、「どうしますか? 病院

に行きますか、行きませんか?」みたいなことを聞かれた・・・

(と、夫が翌日教えてくれた)。

私はそのときのことを覚えてない。私は病院に連れていってくだ

さい・・・と言った。このまま家にいても、また白くなって呼吸

が止まるような気がしてすごく怖かった。

 

赤十字は今混んでいてだいぶ待たせることになるが、それでもよ

ければ来ていいですという許可が出た。

 

病院に行ったとき、母の体温は36.4。 救急隊のスタッフの記録

がそこだけ見えた。

 

結局は、母の場合、病院に着いたらすぐに関係者がスタッフオン

リーの救急の部屋へ連れていってくれた。

 

私は待合室で待った。ひたすら神様に祈った。神様、母を助けてく

ださい・・・と。

 

救命室で1時間半くらい過ごし、検査やなにかをいろいろしてもらっ

たようだ。(私は診察室に入れないのでわからない)。

 

午後10時前、「来てください」と医師に言われ、スタッフオンリー

の扉の向こうに私も入れてもらい、医師の後ろを歩いた。たくさん

の患者さんが、距離を置いて離れ離れで寝ていて・・・簡易ベッド

も通路に出ていて、あちこちでスタッフが作業していた。

 

母は茶色の顔(=色がついた顔)になって、知らない人ばかりの中

で、なんだかいやそうに、少し苦しそうにしていたが、私が声を掛

けると小さい声で返事をした。

 

医師から、血液検査をしても貧血がひどい状態ではなかった。

〇〇損傷をしているから、このような失神(意識消失)が起こりや

すいのかもしれません・・・こういうことはこの先もあるかもしれ

ません。お母様の在宅医にお手紙を書きましたので、往診に来たと

きにでも渡してください・・・今日はこのまま帰っていいです。

すべて終わってからお母さんを待合室に連れていきます。(ご家族

は)先に向こうで待っていてください・・・と言われた。

 

車いすの母は、マンションの1階で救急車の担架に乗り換えさせら

れたので、病院から家に帰るには、母の車イスが病院に到着しない

と帰れない。(なにせ、寝たきりの母だから)

 

ご家族は、さきほどの場所(待合室)へ戻ってお待ちください・

と言われたが・・・迷路のように思えて・・・戻れなかった。

あっちもこっちもカーテン越しのベッドで、最初は医師の後ろに

くっついて歩いてきたので、どこをどう曲がったのか覚えてない。

何度も曲がって母のところへ到着したので、一人で待合室に戻っ

てよいと言われたって・・・逆には戻れない。(苦笑)

 

おまけに、どこのつきあたりの扉も「スタッフオンリー」と書い

てある。私はどこへ戻ればいいの? ぐるぐる回って・・・

困りに困って、カーテンの中で治療中のスタッフに「すみません、

出口はどこですか?」と聞いた。

こっち側の「スタッフオンリー」の扉を指さしてくれた。スタッ

フオンリーの扉から出ていいのね、それじゃあ分からないわ。

 

救急車の中で、病院到着後、もし家に帰ってよいことになれば、

車イスと介護タクシーが必要となるので、あらかじめ(毎週利

用しているなじみの)介護タクシーのオーサンに電話をしてお

いた。母専用の車イスは、寝たきりの母用だから普通の車イス

より大きい。うちの小さい車に、あの大きな車イスが入るだろ

うか?

 

介護タクシーのオーサンは、まずうちに寄って、車イスを積んで

から赤十字に向かうと言ってくれたが、夫はなんとか自分で車イ

スを病院に持っていくから、オーサンには赤十字に直接来てもら

いなさいと(私に)指示した。そこで、私からオーサンに「まだ

会計にも至ってないのですが、会計を待つ時間になったら連絡し

ますので、直接、赤十字病院に来てください」・・・と伝えた。

 

夫に、翌日、「どうして自分で車イスを持っていこうと思った

の?最初から介護タクシーのオーサンに取りに来てもらった方

がいいのに。うちの小さい車には、折りたためない大きな車イ

スを乗せることが大変なのに・・・」と聞いてみた。

自分も、ひつじ母(義母)のために、何かしたかった。役に立

ちたかった・・・と。  そうですか、感謝します。ありがとう。

 

ところが!

夫は今まで、新しい赤十字病院に来たことがなかった。車でも

電車でも来たことがなかった。もちろん夜も来たことがなかっ

た。

 

つまり、赤十字の駐車場の入口が分からなかった。近くまで来

ているのに、駐車場の入口が分からず、建物の周りをぐるぐる

回っているらしい。昼間はガードマンが指示してくれるから分

かるが、夜は暗くて分からない(ようだ)。間違えて、赤十字

病院にくっついているビル=埼玉県立小児医療センターの入口

の方に行ってしまったようだ。

 

そっちじゃない、そっちじゃない、もう少し北側にある。昼間

でもわかりづらいのに、夜はもっとわかりづらいと思う。

私、電話を持ちながら、救急の出口から外に出て、案内しよう

と思ったけれど、夜は暗くて見えない。寒いので、建物の中に

入ろうとしたら、一旦外に出た私は警備員にストップさせられ

た。「わたし、さっきまで中にいたんです。母はまだお医者さ

んと一緒に救急室の中にいるんです。夫がここの駐車場が分か

らないと言うので、外に出ただけです。中に入れてください」

・・・夜の救急室の警備はとっても厳重でした。(苦笑)

 

そのうち夫が車イスを持って待合室に来てくれた。

 

しばらくして、母が病院の車イスに乗って、看護師さんと待合

室に戻ってきて、そのあとでわが家の車イスに乗り換えさせて

くれた。

 

会計を済ませ、夫は先に帰り、介護タクシーのオーサンが来て

くれて、私たちを家まで連れて帰ってくれた。

 

ま、とにかく帰宅できた。

「良かったね」

・・・母、静かに「はい」と言った。

毎日たくさん食べてるのに、このところずっと糞づまりだった

ので、浣腸してから、母を暖かく包んで寝かせた。

 

そのあと、夫から、「普段、君は救急車を呼ばないでと自分自

身で言ってるのに、今日救急車を呼んでと言ったのは、なぜ?」

と聞かれた。それについてはしっかり話し合って、今後のため

にも目安みたいなものを決めておきたかった。

 

母が、いかにも死にそうな状態で、在宅医から余命があと1週

間とか、1ヶ月とか言われたときには、在宅医も頻繁にわが家

に来てくれるだろう。そういうときは、母が急変しても余計な

延命を避けるためにも救急車は呼ばず、在宅医に連絡するか、

訪問看護のHさんに連絡しましょう。

 

家で寝たきりの状態で(既に、=あきらかに)死んでから

時間が経っている状態だったら、救急車を呼ばず、在宅医

か訪問看護のHさんを呼びましょう。

 

だけど、今回はさっきまでご飯を食べてごちそうさまして、鶴

瓶を見て笑っていた人が急変した。真っ白な顔して、真っ白な

唇をして、反応がなくなった。これは、あまりに急変、死ぬか

もしれない状態である。そういうときは、在宅医に連絡してい

る間に本当に死んでしまうかもしれない。1分1秒が大事かも

しれない。やっぱり救急車を呼んでよかったと思う。

 

在宅で、もうすぐこの病気で死にそうな母を看病している場合

は、医師からも覚悟していてくださいとか言われるだろうし、

こういう最期の目安、目印?になる症状が表れますだの、細か

く教わるだろう。そういう時は救急車を呼ばない。

 

しかし、急に大きなケガをして大量の出血があったとか、骨が

折れた・・・とか、今回みたいに急に顔面蒼白になって、反応

なくなった=急変したときはすぐに救急車を呼びましょう・・

と漠然としたルールを決めた(つもり)。

しかし、状況に応じて変わるかもしれない。その時々で決めま

しょう。

 

私自身もものすごく疲れていたので寝た。

救急車を呼んでよかったのかなぁ・・・とずっと考えながら。

でも、いつのまにか寝てしまった。

 

長い長~い一日でした。

 

◆12月1日(火) 午前4時

母の部屋に行ったら、母の左手、母の両足、すごく冷たかった。

でも、昨夜の浣腸の成果か、大きなソフトボール大の健康的な

便が出ていた。体が冷たいと便が出ないと教わっていたので、

いいウンコが出ていてちょっと安心した。排泄の始末をして、

服を着替えさせて、もっと暖かい服を着せ、手を握って温め、

足は動かしたり、指を一本ずつマッサージ、足の裏は指圧して、

氷のような足をなんとかしたいと思った。湯たんぽを足元に置

くことにした。

 

母はよく食べるので、まだまだ死なないと、普段私は勝手にそ

う思っていた。だけど、寝たきりで自分では動けない老人は、

生きる力が、動ける人に比べて、かなり弱いのかもしれない・

・・と今回はつくづく思った。

 

血の巡りが悪い・・・非常に悪い。

 

生きていくのに、食べて、動く、これが大事だんだなぁ~と思った。

動けない母は・・・だれかが動かしてあげないといけない・・・と

今更のように思った。

 

また、老人の場合は、ご飯を普通に食べていても、普通に生活して

いても、ある日突然パタッと死ぬこともあるんだ・・・ということ

を学んだ。

 

当日の夜、訪問看護のHさんに伝えた。

今夜こんなことがありましたが、帰宅して、母笑顔が少し出たので、

明日は、普段通り療養デイサービスに送り出します。よろしくお願

いします・・・と。

 

介護タクシーのオーサンは「明日、デイサービスに行くんですかー

?!」と驚いていたが、うちにいるより看護師がたくさんいる療養

デイサービス「きりん」の方が私は安心。なにかあったら、きりん

の近くで開業している(母の)在宅医が、きりんに往診に来てくれ

るだろう。

 

在宅医の病院には、翌朝報告し、在宅医と一緒にわが家にも訪問診

療に来てくれる看護師に、昨日の様子を(電話で)伝えた。

その看護師さんも、「そういう場合は救急車を呼んでよかったので

はないですか。長い間できなかった血液検査も心電図の検査もきた

ようだし」・・・と言ってくれた。