9/15 高見国生氏の講演 家族支援の必要性

2018/9/15

認知症の人と家族の会埼玉県支部の

アルツハイマー記念講演会、高見国生氏の講演内容

と、私が感銘を受けた箇所を書きますね。

高見さんは京都府庁に勤務しながら、認知症の人と

家族の会の前身「ぼけ老人をかかえる会」を作った

人の一人、昨年まで代表をなさっていました。

 

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【認知症の人の家族も、当事者である ということ】

~家族支援の必要性~

 

昭和55年の高見家のお話

家族の中に一人、失禁する人がいると・・・

家中くさい。

こんなのやってられるか、皆さん、知って下さい。

当時、行政は見向きもしなかった。

家族は追い詰められ、家族は本人をしばいていた。

(・・・京都弁)

 

家族を応援しないといけない、

家族のつらさが和らいだら、

本人にも恩恵として受けられるだろう。

 

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現在

厚労省も、埼玉県支部長の花俣さんに一目おかざ

るをえない。彼女は、実際に介護をしてきた人だ

からである。花俣さんは、認知症の人と家族の会

本部(京都)の理事として、認知症家族のために

日本中で活躍している。

 

家族に余裕ができたら・・・

 

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昨年2017年4月アルツハイマー国際会議の成果

 

◎認知症の幅広さを明らかにした

初期から重度まで/ 若年から高齢まで/

病名も症状もそれぞれ/家族もさまざま

 

(今の時代、初期の段階で診断できるように

なった。当時はウンコを踏んだ、べちゃー、

老人性痴呆と言われ、医者はさじをなげた。

当時は重度にならないと病院に行かなかった。

だから重度の高齢者ばかりだった。

だから、この会の最初の名称は

「ほけ老人をかかえる会」であった。

 

◎「認知症問題とは本人と家族の二人の人生を

ささえること」をさらに明確にした。

 

認知症は、本人だけでなく、家族の問題でもある

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◆家族は悩んだ末に「入所」を決意し、今も

不安を抱えている。(これで良かっただろう

かという不安)

◆家族は「在宅サービス」を利用しても、

24時間の負担を負っている。

◆本人は何もかも分かっているから、不安や

いらだちがある。

 

◆介護者が体を壊し、精神的犠牲になっても

介護しなくてはならない。

逆に、家族が暴力や虐待して、認知症の人が

犠牲になってることもある。どっちかが犠牲

になって、どっちかが救われる・・・という

のは正しくない。

 

◆「家族」とは誰のことか

・中心的に介護に当たっている(いた)人。

・血族か姻族かを問わない。

 

戸籍上の家族がいるからもめる。

兄弟間の悩みが多い。一人っ子と思いなさい。

 

◆家族の声

30年前の認知症の人も、今の認知症の人も、

言ってること、やってることがちっとも変わ

らない。つまり、認知症の人は信頼している

人に対して症状が強く出る。

 

あらかじめ、認知症のことを知っていると

あわてなくて済む。介護は知識があるかな

いかで変わる。

 

制度ができても、昔と今が変わらないのは、

介護者の気が休まらないこと。

自分の時間が持てない、外出できない、留守を

見てくれる人がいないの3つは、制度ができた

ことで少しだけ改善されてきた。

 

◆家族の四つの苦労

・心労とも疲労

・家庭生活の混乱

・先行きの不安

・孤立無援の思い

そういう介護をしている人には、余計なことは

言わないで「大変ですね」とゆうてあげてくだ

さい・・・(京都弁)

何でも忘れてまして、この頃は死ぬのを忘れて

ます。なら、サービスに繋げまひょ。

 

家族がどれだけ安心するか、

隣の人は、困った時には声をかけてね・・・と

言ってあげましょう。

 

◆認知症とは何か?

一度獲得した知識機能(記憶、認識、判断、学習な

ど)の低下により、自己や周囲の状況把握、判断が

不正確になり、自立した生活が困難になっている人

の状態

 

徘徊する人は行動がすばやい。

認知症の人を怒ったらあかん、叱ったらあかん。

 

どこかの国のお役人さんが、さいさん、『記憶

にございません」というのは、覚えているから

そう言うのです。それを言ったら、〇〇さんに

迷惑がかかるから、記憶にございませんと言っ

てるだけです。

 

◆家族が認知症と診断されたら

・ぼけを恥じない、隠さない

・一人で頑張らない (仲間がいれば勇気百倍)

・積極的に制度を利用する(社会で支えるのは当たり前)

 

◆どこまで家で看るか?

●家族の力の限界まで

力の限界は家族によって異なる。

家族状況によって違う!

共倒れになる、病気になる、これ以上やったら

家庭生活がもたない・・・それが限界

 

●家で看ることが良いことか

本人にとっての幸せを基準に

家で看ることが良いことか・・・そんなことはない。

それは家族の自己満足ではないかと思う。

世間体を気にしている人のやることだと思う。

 

妻のところに一日お気に会いに行く。

小一時間一緒にいて、食事の世話をする。

少なめの人での中で、自分がやってるのは、妻との

唯一の接点である。

終わりのないマラソンから、マイペースの運行速度

に変わったことにより、いつまで続いても良いと思

うようになった。

妻の入所は、私にとって最適であり、妻にとっても

最良の生活だと思う。

 

重い石を一人で持てない時に人を呼ぶことに悩まな

いのに、「介護」だけは言いにくい?

一人でやらずに、皆で手助けしてもらえると、少し

ましになる。

●介護に後悔は似合わない

その時その時を精一杯やれば良い

 

◆あなたが認知症と診断されたら

●認知症で人生は終わらない

認知症持って生きる覚悟をする

 

●手助けを求める勇気を持つ

認知症の理解者を増やすことでもある

 

●仲間とともに励ましあう

本人も家族も一人ぼっちでは頑張れない

 

周りの人に、自分を理解してもらうだけでなく

認知症のことを生(なま)で、理解してもらう。

 

◆家族の「道」はつながっている

●介護の社会化を求めて活動したが、介護保険の

恩恵には浴せなかった。

(高見氏がそう。後輩のために頑張った2000年

までの家族)

 

●完璧ではなくても、制度のあるありがたさ

先輩家族の成果を使っている現在の家族

 

●制度の後退は、後輩の家族を苦しめること

後退を許さず、充実を求めることは現在の

家族の責任。

現在と未来の家族のために、みんなで声を

あげよう!